競馬は理不尽なことが当たり前のように起こる。あるメンターは、レースを厳選しているにも関わらず軸馬が不利をよく受けたりと「なぜ、そうなる」と言いたくなることが多いという。
そういう避けることのできないことを前提にして行動していかないと余計に負けてしまうことで相対的な利益の目減りへとつながる。
まずは必要以上に負けないように徹底的に戦略化することから始めなければならない。それが成功せずにプラス転換を期待するのは現実感のない夢を語るようなものだ。
人は本能的に利益より損失に対して感情的になってしまう。そのバイアスは普段の生活から強力に働いているため利益的な行動につながろうとしない。
たとえば、馬券の調子が良い時は投資額を増やした方が得られやすいのに利益を保存しようと抑えてしまう人は多いのではないだろうか。
それでも上手くいっている時はいいが、一転して負けが続くようになると取り戻そうとして投資額を大きくするような人は少なくない。
客観的なイメージを持てれば間違っていると気づけることも、ほとんどの人は自分の行動に問題がないと考えているため問題が解決することがない。
断然人気馬で大勝負するいしても、その額が大きすぎたり、過去に実績がない、自分の手法が定まらないうちに実行すれば失敗する可能性の方が高くなる。
競馬での本命ドカン勝負は相対的な視点から見ると楽なものとは言えない。なぜなら、他の公営競技とは違い動物を扱うという差は埋めようがないからだ。
知性がある人間でも「今日はやる気がでない」という日があるのに、感情に従って生きるサラブレッドなら、その傾向が強まることは容易に想像がつく。
だから、大勝負する時は競走馬の能力だけでなく、他馬との能力差や時と場所を合理的に判断してベストと判断して買うことが必要になる。
それでも負ける時は負けてしまう。ただ、競馬には的中率が低くても致命的な金額を負けてなければ取り戻せるだけの爆発力があることを忘れないで欲しい。
だからこそ、その時のために日々の行動を設計することが重要になってくる。そのためには自分の能力によって未来を切り開けることを信じなければならない。
多くの人は、みんなが支持しているから大丈夫だろうと判断して自らハイリスクを受け入れている。馬券を買う前は恐れおののいていたはずなのに。
このような一般化思考で無意識に判断するからこそ無謀な行動を取ることができてしまう。投資で成功するためには思考を磨くことは必要不可欠である。
みんながやるから安全だは普段から行っている思考の簡略化であり、それが日常生活で脅威にならないのは数えきれないほど繰り返されてきた精度の高い行動だからだ。
その習慣をもとに投資の行動を決めてしまうからこそ誰もが負けてしまうのである。投資は投資で精度の高い行動を理解して自分なりに経験値を積み上げなければならない。
まずは、自分自身が製造機になりうる存在だと自覚する必要がある。そこに気づかずに競馬で負けているのなら勝つためのスタートラインにすら立ってないということ。
予想力の前に負ける要素があちらこちらにあることを認識して1つずつ負ける要素を潰していくことを意識していこう。